だから私は結婚したい
こんにちは!
8bitスタッフのハチですヾ(o´∀`o)ノ
毎度ブログのご挨拶をするのですが、今回はブログが長くなりそうなので...先に宣伝しておきます。
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なぜ結婚したいのか、自身の理屈を述べられるのか
婚活で悩む皆さんが、どうやったら結婚という成果を得られるかといつも考えています。
どんな婚活をしたら自分を理解し、相手を理解することができるか。
きっとそれは選ぶ婚活サービスによって成果が変わってくるものではないのかもと思っています(同業他社さんが聞いたら怒られそうな...)。
そして、私たちのようなサービス提供側から自己成長という理想を掲げられたとしても、自分自身を変えることはなかなかできないため、そこに苦しみや悩みを抱えている人が多いのではないか?というのも事実のような気がします。
「もっと素直になった方がいいよ」とか、「もっと思いやりをもって」とか、「印象良くして」とか、しまいには「ファッションを変えなさい」など言われても、ずっとこのままの自分で生きてきたのだから、短期間で成長を求められても難しいんじゃないんでしょうか。
じゃああなたは人に言われて変われるんでしょうか?と聞きたくなりますよね。
どうしても、婚活する人が下でサービス提供者が上、多くはサービス提供者は結婚をしていて、結婚という素晴らしいものを経験するためにここまで頑張ってたどりつきなさい、というエゴイズムさえ感じてしまいます。(そういうハチも婚活カウンセラーのトモもそうではありますが...今までのブログもそのタッチで書いているのも事実...苦笑)
まだ見ぬ世界にたどり着くためにその世界にいるひとから教えを受けている、というカタチはお客さんにとってハマればいいのですが、現代の個人主義だとなかなかハマらない人も増えてきているのだと思います。
そんな婚活をする皆さんが、無理なく自然に、全員ではないけど比較的多くの人ができることと言えば「視点を変えること」くらいでしょうか。
視点を変えると言っても、比較する対象があって主観的ではなく客観的に見ることができる「対象のもの」があるからこそ、なんだと思います。
その比較するものとは、以前の結婚観と最近の結婚観(特にコロナ禍)と。
どういう視点を変えるか、というのは何のために結婚するのか?という理由づけのところだと考えています。
婚活をする皆さんはなぜ結婚したいのでしょうか。
その自身の理由を理屈を持って述べられるのでしょうか。「私は●●だから結婚したい」と。
大抵が「みんなしているから」「いい年だから」「親も歳とってきているから」という、主観的に見えて自身の理屈がそんなに無いかと思います。
昔の結婚観は主観的な価値観が反映されていて「結婚はいいものだ」「結婚をして家庭を持って一人前」「愛する人と一緒になることの幸せ」などなど、というようなはっきりとした理屈がありました。
が、今心からそう思って信じてやまない人は少ないのだと感じています。
誤解の無いように書いておくと、「もしかして結婚に理由はいらないのでは?したかったらしたらいいし、したくなかったらしなくてもいい」と言いたいのです。
社会の仕組み、法制度や文化習慣、人々の価値観(変わらないものの方)と、時代とともに変わっていく恋愛感結婚観との差がどんどん開いていっている気がします。
先のオリンピックパラリンピックでは「多様性」がテーマとなり、ジェンダーレスやバリアフリー、価値観の多様性が大きくとりあげられました。
でも、結婚については多様性を求めると異質とまで言われてしまいます。
非常に生きづらいですよね。結婚しづらいですよね。
なのに結婚がしたい(と思わされている?)。
だからきっと今は視点を変えた方が楽なんじゃないか、と思うわけです。
そして私たちサービス提供者は常に考え、理解を示していかないといけないと思っています。
互いの承認欲求を満たしてくれる
これほどまでに負の要素が増大しているにもかかわらず、夫婦になることを欲する人たちは今も後をたたない。
人と人とがつながることが困難な時代に、そのリスクを踏まえてもなお、人々は承認欲求を満たしてくれるパートナーの存在を、夫婦の固い絆を求めているのではないか。これは結婚したいと意思はあるものの実現できていない独身男女と、現に危機に瀕している夫婦の双方にいえることである。
-中略-
他者・周囲から価値ある人間として認められたいという承認欲求は、家庭や職場、広く社会などさまざまなシーンで、個人間や集団内で湧き起こる感情だが、中でも、配偶者ら家族への承認欲求が満たされるかどうかはアイデンティティ(自己同一性)とも直結し、人間が生きていくうえで非常に重要な要素だ。
なぜなら、自分を必要とし、大切にしてくれる存在であり、経済面や生活面、心理的面でも親密な関係にあるからである。
配偶者への承認欲求が満たされず、アイデンティティの喪失に陥ってしまう男女は多い。
言い換えれば、人はパートナーからありのままの自分を受け入れて評価してもらい、愛されているという実感を得たいがゆえに、結婚願望を保持しているといえるのである。
結婚願望がアイディンティティと直結している、ということでなぜ結婚願望があるのかという問いが少しだけクリアになった気がします。
アイデンティティは、生まれ育った環境や教育、家族の血の繋がりや広く言えば人種などから形成されていくもので、自分が自分であるための自我を支えるものではないでしょうか。
確かに承認欲求が満たされないと自信が無くなってしまう人は多いですよね。
アイデンティティが喪失している、ということなんですね。
では逆に、結婚願望が無いということはどういうことなんでしょうか。
逆説的だと、承認されたくないと読み取れるのですが、もちろんそれは違って、欲求が満たされている状態だったり(承認欲求以外のもの)、アイデンティティそのものが希薄だったりするのかもしれません。
過去に辛い経験やトラウマを抱えて、自身のアイデンティティを見失っている状態だから承認欲求より強い欲求に駆られそれを満たそうしているのかもしれません。
よく、仕事が忙しかったり、違う何かに打ち込んでいたりすると結婚する気が起きないのもそうでしょう。
配偶者や家族から承認欲求を満たされたいという願望ではない、ということなんだと思います。
婚活でよく耳にするのは「自分が好きになる人じゃないと結婚したくない」という言葉です。
ですが、この言葉は自分からの提供が優先的で、自身の承認欲求が満たされていないということになりますよね(もちろん自分が好きになったら相手も好きになるという前提でしょうけど)。
きっとこのニュアンスは非常に微妙で、お互いがイーブンに承認し合わないと成り立たないのだと思います。
そして大事なのは「ありのままの自分を受け入れて評価してもらい、愛される」ということなんでしょうね。
そうじゃないと承認欲求は満たされないしアイデンティティが保持できないから。
自分という人を形成するアイデンティティは、建前や見栄、作った自分ではないから、そもそもソレジャナイとなりますよね。
人とのつながりを維持する最上級のもの
承認欲求からの結婚願望を保持することとあわせて、夫婦の絆を欲するのも結婚の理由の一つなのだと思います。
SNSなどを介した情報のやりとりにおいて、人は集団内、一般社会双方からの承認を求めているといえる。
しかしながら、このような人と人との関係性はつながっているように見えて、実際には分断も招いているのだ。エコーチェンバー現象(ネット上の閉じたコミュニティで同じ意見の人同士でコミュニケーションを重ねることで、自分の意見だけが増幅・強化されること)、フィルターバブル(検索サイトのアルゴリズムのフィルター機能により、自分が知りたい情報しか見えなくなること)といった状況はまさに、分断を象徴しているといえるだろう。
-中略-
つながりを広げたようで、実は数々の分断ももたらしているネット時代に、人々は真につながれる神話的承認欲求を得るため、「夫婦」を追求しているとも考えられる。
インターネットの普及で人とのつながりや人間関係の希薄化が進んでいるという話題は久しく、今は世代分けされるくらい年月が過ぎています。
ネット世代は親世代までに広がり、二世三世と子供達が生まれ、社会を作っていっている今では、インターネットの普及による人間関係の希薄化という話だけではなくなります。
まさに社会を分断するかのようにたくさんの小さなコミュニティができて、選択するかのように少しずつたくさんのコミュニティに片足を突っ込んでいる状態です。
前述のアイデンティティではないですが、アイデンティティを形成するほどの必要十分なものが揃っていない状態なのでしょう。
そんななか、この人だけは信じれる、この人なら好きになれる、この人となら絆を深められる、というのが夫婦であって繋がりを維持する最上級のものなのでしょう。
単に家族を作るというシンプルな話ではなく、この人間関係が希薄な世の中で、唯一信用できつながることができる相手と一緒になる、という負担の大きい役割まで与えられているのが現在の結婚なのではないでしょうか。
その負担の重圧から逃げるように結婚から遠ざかり、結婚願望を持たない人が出てきている、とも読み取れるかもしれません。
ここでも、私たちサービス提供者は、以前の定義の結婚を持ち出して(完全に定義が違う)、結婚は素晴らしい、結婚はいいものだ、と熱血に押し付けてはいけない気がします。(ブーメランにならないように気をつけねば)
性規範に縛られる悩みと制度に治まる安心
紹介している、「夫婦幻想」ちくま新書/奥田祥子(著)は、タイトルどおり夫婦という形にしばられ、夫婦という幻想を追いかけながら苦悩している実在の夫婦をルポルタージュしている書籍です。
お互いに理解しあって改善し成長していくケースや、そのまま夫婦が理解し合うことなく関係を終わらせてしまうケースなど、多数の夫婦が出てきます。
こちら結構リアルな夫婦が描かれていて、自分と近しい考え方だったり環境だったり、パートナーだったりするとまあまあゾッとします(笑)
その中の多くの夫婦が性規範に縛られているのがわかります。
夫婦であると同時に父親と母親であり男と女であるから、男はこうあるべきで女はこうあるべきだ、という思い込みとも言える性規範に悩まされています。
では、以前の昔の夫婦は性規範に悩まなかったのか、という疑問がわきますが、実際は悩む人もいたのだと思いますが、だいたいは文化や習慣、制度など強制的なものに当てはめられていて悩む人は少なかったのではないでしょうか。
悩む必要が無い安心感がそこにあったのだと思います。
冒頭で触れた【社会の仕組み、法制度や文化習慣、人々の価値観(変わらないものの方)と、時代とともに変わっていく恋愛感結婚観との差がどんどん開いていっている気がします。】はこのことで、男と女はこうあるべきだという性規範に縛られながら、現代の環境で生活していくので生まれる価値観(トレンド)との溝は深まるばかりです。
考えれば考えるだけ生きづらくて苦しいな...と思います。そんな中、結婚という制度に治まるのはある意味何も考えなくて何も悩まなくて安心なのではないでしょうか。
考えれば考えるほど、結婚する意味がわからなくなりそうです。
リベラル化とともに
リベラル化という言葉をよく耳にしますが、「革新」という意味もありますが、「個人主義」と変換するとスッと入ってくるのでは無いでしょうか。
時代のリベラル化、人々の考えがリベラル化する、など個人を尊重し個人の権利権限を守る、ような表現にも使われますよね。
結婚も個人主義という考えがうまれてきています。社会や制度に縛られることなく「個人の考えと行動をもって結婚する」ということでしょうか。先に述べた多様性とも関連づいてきます。
要は、これからの時代リベラル化が進み、個人主義で自己責任という社会が広がっていくとともに、結婚も個人の考え方によってものすごい様々な結婚が増えてくるということです。
もはやそれは結婚ではないかもしれません。
なんのために結婚するのか。結婚しなくていいのではないか。という考えもあることだと思います。
ただ、そこには個人主義と言われながらも、夫婦という関係の中で承認欲求を満たしたり、夫婦の絆に社会の中での安心を求めたり、そして年齢を重ねていくことで生まれてくる家族の絆に意味を感じたりしていくのだと思います。
自分を育ててくれた親に、自分が選んだパートナーを紹介することで親が喜んでくれるのもその絆ですよね。
もちろん子供が生まれ、親が喜ぶ顔を見るのも絆を感じる瞬間だと思います。
リベラル化とともに、結婚する意味はみんな違っていいのだということが結論じゃないでしょうか。
結婚したくなければしなくてもいいと思います。結婚したければしたらいいと思います。
私たちのサービスは結婚したいけど、いろんな理由や環境で結婚する機会を逃している方々のためのものだということですね。
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